6月の保育
− 6月の園長先生のお話 −
5月当初には弱々しかった木々の緑が,しっかりとした深緑に変わってきているなと感じる今日この頃です。
私の家の近くの田では,土おこしは既に終わっています。近いうちにかわいらしい稲が,水をはった田一面で風にそよぐことでしょう。夜にはカエルの大合唱を聞くことができ,日中にはカブトエビの泳ぐ姿を見ることができる時期ももうすぐです。子ども達にも,一生懸命に生きようとする生物の姿に感銘を受けてほしいと願っている私です。
桜町聖母幼稚園のすぐ近くにも,トノサマガエルとヒキガエルが何尾か生息しているのを確認しました。日没近くになると,幼稚園南駐車場脇の側溝からあのかわいらしい鳴き声が聞こえてくるではありませんか!カエルの鳴き声を聞きながら,それぞれのカエルのつぶらな瞳を思うと,私の心はとてもとても丸くなっています。
時間が許される方は,ぜひあの鳴き声を子どもと一緒に聞いてほしいと思います。
私の家には,4歳になる雄のチワワ(名前は「クウ」といいます)がいます。散歩に行くのも餌を与えるのも私の役割です,出張がない限り。クウと散歩する時の私の様子は,次の通りです。
@散歩の時は,いつもクウが先頭。私はクウの後をついて行くだけ,周りの状況を十分に把握しながら。
A道の分岐点では,「こっちに行った方が良いよ」と指さすだけ。クウが別の道を行きたいと意思表示すれば,20時を過ぎて暗くなっている,雨が強くなってきている等の理由がない限り,クウの意思に沿う。
B車や自転車,人の往来が予想されない道では,リードを外し,クウの行きたいところに行かせる。
C家の近くに戻ってきても「まだ行きたい」と意思表示すれば,よっぽどの理由がない限りそれに従う。
なぜ,このような一見甘えさせるような散歩の方法をとるようになったのか?
それは,@では「後から行くことによって,クウの様子を的確に把握することができるから」。Aでは「散歩の主体はクウであり,私は従者に過ぎないから」。Bでは「より以上多くの体験をクウがし,それによって多くのことを学んでほしいから」。Cでは「何か新しいことをクウが学ぶかもしれないから」。
この文を読まれた方が,何かを感じ取って頂けたらと思います。
娘を育てていた当時は「先に立ち」「行くべき道を指し示し」「一つの枠の中に入れようとし」「娘の意思を尊重しようとしなかった」私でした(猛反省)。
新たな命(理論的には私の遺伝子の25%を含む)を胎内に宿している娘にも,この文章を送ろうと思っている私です。