12月の保育
− 12月を迎えて −
以前は通勤時によく読書をしていたのですが、最近は電車に乗る時間が約6分と短いこともあり、電車の外を眺めたり、電車の乗られている方々の様子を観察したりしています。
乗客の様子を観察していると、思わず「アレッ」と思うような光景をよく目にします。電車に多くの人が乗ろうとしているにも関わらず、入口から奥に移動しようとしない人。多くの人が乗っているのも関わらず、膨れたリュックをそのまま背負っている人や通路に足を投げ出している人。駅に着き、多くの方が降りようとしているにも関わらず、入口付近で動こうともしない人等々。
「では,自分はどうなのだろうか?」と考えてみると、自分自身では出来ているつもりでも、出来ていないところが一杯あるんだろうなと思います。その場その場で、自分をより客観的な目で見ていかなければならないなあと思う今日この頃です。
さて、昼の時間が最も短くなる12月を迎えました。北極では一日中太陽が昇らなくなり、南極では一日中太陽が沈まなくなっていることでしょう。
カトリック教会では、11月29日(日)より「待降節」が始まります。カトリック桜町教会でも、聖堂の入り口に馬小屋(まだイエス様はいませんが)が設置されました。
教会ではイエス様の御降誕までの4週間、アドベントクランツに4本のロウソクを立て、1週間ごとに1本ずつ火を灯していきます。そして、4本のロウソクすべてに火が灯ったらクリスマスを迎えます。
クリスマスは、イエス様がお生まれになったことをお祝いする日です。
ここで、イエス様が誕生される時のことを考えてみましょう。
第1に、イエス様がお生まれになるまで、マリア様やヨセフ様の生活はどうだったのでしょうか?当時のイスラエルでは、未婚の女性が子どもを身ごもることは許されることではなく、場合によっては石打の刑になったそうです。それでもマリア様は御胎内のイエス様をお守りしました。そして、ヨセフ様はマリア様を世間の冷たい目から守りきったのです。神様からのお告げを信じきった姿がここにあるのではないでしょうか。
第2に、イエス様がお生まれになったのはどこだったのでしょうか?当時の子どもが普通に生まれていた家や宿屋ではなく、馬小屋でした。なぜ馬小屋だったのでしょうか?神様が私たち人類に何を求めているのかを示しているのではないでしょうか。
第3に、イエス様がお生まれになったことを最初に知らされたのは、ベツレヘムの城壁の中に住んでいた人たちだったのでしょうか?当時、ベツレヘムの城壁内に入ることを許されなかった羊飼いの人たちに知らされました。なぜ羊飼いの人たちにまず知らされたのでしょうか?イエス様がこの世に遣わされた理由を表しているのではないでしょうか。
クリスマスを機会にイエス様が、何を私たちに伝えようとしたのかを、喧騒の中ではなく、静寂の中でゆっくりと考えてみませんか、イエス様の生涯を思い起こしながら…。