2010年2月の保育
−ひとり一人が神さまのまなざしの中に−
もうすぐ開かれる音楽会に向けて、子どもたちは一生懸命、準備をしています。どんなにすばらしい音楽会になるのか、とても楽しみです。
小さな幼稚園の行事ですが、この一つの行事にも、たくさんの人がかかわっています。主役である子どもたちもそうですが、歌の指導をしてくださる先生方、細かい調整をしてくださる係の人、そして当日、参加してくださる保護者の方を含めて、すべての人の力で、ひとつの行事が成り立ちます。
そこにあらわれるのは、子どもたちの歌、音楽。けれども、その陰に、たくさんの人の支えがあります。どれ一つとして、欠くことはできないのだと私は思います。
マザーテレサの言葉に、こういうものがあります。「神さまは、成功するために私を呼ばれたのではなく、忠実であるように私を呼ばれました。」
私たちが何か心を傾けてしようとするとき、それをうまくいかせよう、自分がかかわったことを成功させようと思います。でも、もしかしたら、うまくいく、成功することは、それほど大事なことではなくて、神さまのまなざしの中で、自分に与えられたことに忠実に、持てる力を尽くしていくこと、その心のあり方なのではないかなと思います。
私たちには、与えられたものによって、得手、不得手というものがあります。何でも、標準以上にこなすことができれば、申し分ないでしょうけれど、なかなか、そうはいきません。パウロがコリント教会への手紙で語っているように「多くの部分があっても、一つのからだなのです。」(Tコリント12:20)
私たちは、幾ら自分をよく見せようとしても、自分の足りないところは、自分が一番よく知っています。神さまは、私たちが自分を知る以上に、私たちのことをご存じです。
自分のできること、できないこと、それは確かにあります。けれども、たとえ、小さな幼稚園の音楽会にも、それぞれの役割が確かにあるように、私たちは今、生きて、それぞれの役割を十二分にいただいている。それは、人の目で見て、大きい、小さいではなく、一人ひとりが神さまの目には大切なものであって、そのまなざしを受けて、私たちがあることを知っていただきたいと思います。